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「今」なぜ、文京区政に?【4/100】

子どもが生まれたばかりで仕事も完全に軌道に乗っていない。
学歴、金、 地域の知名度もいまいち。
勝算のない中でなぜいま、挑戦するのか?

子どもを育ててくれた恩返し

ご近所さんのご縁に恵まれて、3人の子どもを授かり、育てています。
到底自分たち夫婦の力だけでは、子育てなんかできない。
誰もが子育てを、もっと肩の力を抜いてできる文京区にしていきたい。

自分だけでなく、だれもが、それも血がつながっているかどうかではなく、
まちの一員として子どもが育っていくことを大切にできる
高齢、障害、学生、立場を乗り越えてお互いに支え合えるまちを作りたい。
それが、僕がこの街にできる恩返しの形だと思いました。

僕は、厳しいチャレンジになるとはわかっていても、
我が子を育ててくれた文京区のこのまちを、
もっともっと素敵な場所にしていくこと、
そして、一刻も早く子育て仲間たち、
この先産まれてくる、子どもたちと分かち合っていきたい。

寄せられる相談

不動産屋さんとして、日々生活の相談を受けています。
子育て応援拠点の人として、日々子育ての悩みを聞いています。
知らない人からも、「うわさで聞きました」と連絡が来るようになりました。

こうした子育て仲間のどこにも届かないお困りごとを、
ただの「ぐち聞き」ではなく、文京区議会に声を届けて、解決していかなくてはならない。
それができるのは、子育ての当事者で、誰よりも子育てを
楽しんでいるお父さんである僕の仕事なのではないか、と思うようになりました。

ただ「政治家」になりたいのだったら、会合に出席して、
PTAかなんかで顔を売って、という道もあったでしょう。
でもそうではなくて、子育ての当事者として、
今、同じ目線で伝えられる人はこの文京区議会にはいないと気づきました。

政治家「でも」いいかも

昨日の記事でも書いた通り、

不動産屋さんでできると思っていたより良いまちづくりには、
どうしてもイチ区民としてはできないことがたくさんあるということが見えてきました。

子ども子育て会議の委員になって発言をしてみても、
「貴重なご意見参考にさせていただきます」で終わってしまう歯がゆさ。
何とかしたいと悩んでいた時、4年前には到底無理だ
と思っていた政治家という生き方がふとよみがえってきました。

それと同時に、保育園環境を改善する団体の代表に紹介していただいた
熱い政治家の言葉が、僕の心に火をつけました。
徐々に安定してきた不動産屋さんは、経営に徹して、
この先、政治家として生きていっても、いいかも。

不真面目に聞こえるかもしれませんが、目的とする理想のまち、
そして自身の野望をかなえるための手段としては、
政治家になるのは「アリ」だと思えるようになりました

背中を押してくれた、二人の女性

とはいえ、子どももまだ小さく、無名で弱小な経営者。
背中を押してくれたのは、この人たちでした。

都議会議員の上田令子さん

都議会議員上田令子

以前から知り合いで、熱い人だなぁとフォローしていた上田さん。
あったときに相談してみました。
「いつか、政治家としてこのまちをもっと暮らしやすくしたいんです。」
上田さんに言われた質問が、僕にとってはとても悔しく、心に火が付きました。
「本当に志があるなら、なんで挑戦しないの?」

やらない理由はいくらでも考え付きます。
落選して自分のプライドが傷つくことにおびえていました。
志があるなら、挑戦すればいいじゃないか。
この一言が、今でも僕の炎で、悔しさで、パワーの源です。

高浜家の大黒柱である久美子さん

18歳の時から一緒に泣いて笑ってきた親友で
育児という戦いの戦友で(妻でもある)、
妻久美子に相談したところ、彼女が適当に、背中を押してくれました。
「政治家?いつかなるんでしょ。今なら、育児は任せて。」って。

今まで不動産業経営者として働きながら、実は、
兼業主夫として家事育児を多めに担ってきました。
ところが、幸いなことに第三子が産まれ、育休に入った妻が、
家事の「手伝い」をしてくれるというのです。

「今なら、育児は任せて。」
今回無謀な挑戦に踏み出させてくれた、
最も大きい理由は、妻の後押しでした。

明日は、家族の反応について書きましょうか。

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