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<文京区議になるまで>①生い立ち~学生時代【35/100本目】文京区議会議員選挙まで、66日。

<文京区議になるまで>①生い立ち~学生時代 【35/100本目】文京区議会議員選挙まで、66日。

前回に引き続き、文京区議会議員選挙を盛り上げようと、文京区の政策や選挙のことについて、毎日1本ずつ100本ノック!

今日から数日間にわたり、私が文京区議会議員を志すようになるまでを語ります。
それでは、聞いてください。

▼▼▼練馬区で、育つ▼▼▼
1986年6月2日、都立豊島病院で産声を上げたのが、私です。
板橋区で暮らし、その後年子の妹が生まれ、練馬区の光が丘に転居することになります。
賃貸の公団住宅ですが、当時は、抽選になるくらい人気だったそうです。

両親と、妹2人の5人家族。
ハムスターやウサギ、鳥、熱帯魚を飼う、にぎやかな家庭環境で育ちました。
祖父が立ち上げ、父が引き継いだ仕事場が文京区の千石にあったため、よく一緒に遊びに行っていたのが、文京区で議員を志すきっかけの一つになっています。

練馬区立むらさき幼稚園、練馬区立光が丘第五小学校、練馬区立第三中学校と、団地から目の前の学校に通っていました。
楽しかった印象は詰まっていますが、具体的なエピソードは少ない、中学時代を過ごしました。
増田貴久さんと同級生、上戸彩さんの一つ後輩になります。

中3の時に、当時の担任の先生に進められて、生徒会長に立候補しました。
今思えば、選挙の苦しさ、初当選の喜びをかみしめたのは、15歳くらいのころです(笑)
練馬区内で転居をし、その後、25歳で結婚するまで練馬区民でした。

▼▼▼興味の幅が広い、子ども時代▼▼▼
小学5年生のころには、自転車で埼玉県に住む祖母の家や千葉県に住む従兄弟の家に遊びに行き、迷ったり雨に打たれたり、そんなことが楽しみでした。
様々なことに興味を持ち、無鉄砲にも挑戦して、失敗をくりかえしていました。

友達と遊ぶのは好きだけど、常に遊ぶ仲間が違う、孤独も喧噪も楽しめるタイプの子どもだったのだと思います。
今でも、その性格は変わっていません。

勉強は苦手で、だけれども頭の回転は速く、しかしながら思考回路が散らかりがちの落ちこぼれ中学生でした。
チラシをきっかけに入った「こうゆうかん」という塾が私にはぴったり合い、怒涛の勢いで学力が伸びていったのを覚えています。

▼▼▼高校、大学▼▼▼
当時の自分としては背伸びをして、都立富士高校に入学しました。
そこで、今の結婚相手と出会うことになりますので、なにも文句はありません。

ただ、学力という観点では、落ちこぼれていきます。
授業を抜け出したり、教室に私物を持ち込んだり、”ちっぽけなアウトロー行為”によってワーキャーいわれることに、快感を覚えてしまったのがこのころです。
高校デビューといいますか、高二病といいますか。

そんなわけで、大学には行かないつもりでした。
が、3年生の冬、「大学に行かないと、マズイ」と誰かが話していたのを真に受け、急ごしらえで勉強を始めます。
そうして合格をいただいたのが、目白大学の心理カウンセリング学科。
将来、辛い思いをしている子どもに寄り添える、心理カウンセラーになりたいと思っていたからです。

結局、大学に入学してからも、落ちこぼれました。
大学デビューともいえる惨状を、再び繰り返すことになります。

写真は、2005年10月にに撮影した妻と一緒のもの。
振り返るとまともな写真があまりないのだけど、それもそのはず、”デジカメ”だったからな。このころ。

▼▼▼おわりに▼▼▼
最後までお読みいただいて、ありがとうございました。
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4月23日には文京区議会議員選挙が行われるため、わかりやすい区政情報の発信で、投票率アップに挑戦!!
だいぶ、予想される顔ぶれがそろってきました。
↓ぜひチェックしてみて↓
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引き続き、皆さまに最も身近な文京区議会議員として、文京区の課題一つ一つに取り組んでまいります。
そのためには、ちょっとした情報交換が、とても価値があると考えています。
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