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「過去」文京区政に挑戦の原点【2/100】

なぜ、文京区政にチャレンジしようとしたか、
なぜ、子どもたちのためにまちを良くしていきたいと言い続けているのか、
「挑戦」に向けての決意は、妻の誕生日である10月24日にフェースブックでお知らせしました。

いただいたたくさんの反響

この投稿の反響は非常に大きく、620件のいいね、63件のコメント、14件のシェアをしていただきました。
多くの方から注目をしていただいている、これは、オオゴトになってきたぞ、と大変勇気をいただきました。

フェースブックに宣言した内容(一部加筆

私、高浜直樹は、来春文京区政に挑戦することを、宣言いたします

自分が今の活動をするに至った体験

今日の僕を作り、今回決意するに至った体験を知っていただきたく、少々語らせてください。

22歳の冬、就職直前の僕はいつもと同じように通学中、とつぜん目の前に人が現れ、正面からぶつかりました。
その時初めて、視野の半分を失明していることに気づいたのです。
調べたところホルモンを生成する脳の下垂体にウズラの卵くらいの腫瘍ができていて、視神経を押し潰していることがわかりました。

ああ、このまま僕は死んでしまうのか。
男性ホルモンがなくなった僕は、家庭も、子どもも、持てないのか。
自分の将来に対する不安で眠れない日が続き、どうしようもないショックに打ちのめされました。

今でこそ、こんな風に話せるようになりましたが、当時は涙もろく、ちょっとしたことでも泣いてしまう自分に動揺しました。
感情を抑えられない。不安定さをコントロールできない。未来が見えないどん底に、突き落とされてしまいました。

人生を導いてくれた映画

そんな中、たまたま観た映画に心を動かされました。
『ライオンキング』です。
それまでアクションやSFばかりを観ていた自分が、なぜか惹かれ、話にのめり込み、ラストシーンは画面をまともに見られないぐらい胸がいっぱいで、目の前にはティッシュの山。

生命が受けつがれ、続いていくこと。
たとえ、自分を犠牲にしてでも、命をつないでいく親の愛。
今まで、当たり前だと思っていたことの尊さに、気づかされました。

もし、自分に子どもを持つことが許されるのならば、それだけでいい。
もし、生まれてきた子を抱くことが叶うのならば、命は惜しくない。
祈りのような、強い願いが湧いてきました。

運よく完治、そして子ども

幸い発見が早く、脳腫瘍手術で有名な先生に出会えたため、数週間の入院で社会に戻ることができました。
現在は後遺症もなく、いくつもの幸運に恵まれて、まもなく3人目の子どもが生まれようとしています。
プロとしてまちを良くしたいと創業した文京子育て不動産は、今日でちょうど4年がたちました。
100年先の子どもたちの笑顔のために活動をしたいという創業前夜の想いは今と変わらず、むしろ、もっと広く、もっと大きく、取り組んでいきたいと考えるようになりました。
 
 
子どもたちの、そのまた子どもたちが笑顔で育っていく未来を、僕は見たい。
100年先のこの街をもっと良くするには、「今」走り出すしかない。
そんな思いで、決意いたしました。

勝算は、ない。

いわゆる「地盤・看板・カバン」のない無謀な挑戦は、百も承知です。
町会やPTAなど、もう少し地域に根ざしてからの方がいいのではないかというアドバイスも、たくさんいただきました。
それでも僕は、子どもがやりたいことを、応援し、支える父親でありたい。
自分が進もうと決めた道を進み続けなければ、子どもの前で胸を張れない、と思ったのです。
 
 
至らない部分が多くあり、今後、様々な場面でお力添えを願いすることになるかと思います。
この挑戦に、どうか、力を貸してください。
 
2018年10月24日   高浜直樹

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明日は、「地方議員」になる自分の本音、「野望」を語ります。

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